波打ち際には言葉が積もっていた。

15センチ四方ほどの、物質的な重さをもったかたまり。

各々が自分の元いた文章からはぐれてしまったような「き」、「な」、「B」、「紅」そういう雑多な言葉たちだ。

押しては引いていく波は、言葉同士のぶつかりで音を立てていた。

「み」はやわらかい音でしなり、元の形に戻ってゆく。

「が」はすぐに崩れながらプラスチックのような音をたてた。

僕は言葉を理解している自分というものがどうもよくわからなかった。

慣性で動いているだけの機構じゃないのか。

バラバラになっていく言葉たちの音は不思議と心地よかった。

これでいいと思わせてくれる。

ベッドの上で横になり目を瞑りながら同時に、僕はそんな波打ち際で体育座りをしていた。

ここは島だ。

他のたくさんの島から言葉が漂流してくるのだ。

僕はずっとここにいたいと思った。

島にはときどき、かつて文章だった言葉が、鋭利な文字や、腐臭を出す文字として流れ着いてきた。

僕はそういう言葉で体に傷を作ったり、かゆみが出たり、虫が湧いたりしていた。

僕には虫が湧くことがあった。


島にいる人間は僕一人だった。

別に島を隅々まで探して確認したわけではない。

それどころか、海に向いている頭と体を反転させて島の方を向いたことすらなかった。

島はほとんど未開の地だった。

とにかくここは島で、僕はずっと一人なのだという感覚があった。

ここに物語と呼べるものはない。

僕は退屈だった。

いや、僕には退屈さを感じる仕組みがあった。

その仕組みが僕に頭の内側からの刺激を求めた。

とりあえず手元にあった大文字の「Q」と、どこかの文字からはぐれてしまったやまいだれを互いに打ちつけて音を作ってみた。

にぶい音がした。

何回か叩くとリズムが生まれた。

僕はその音に合わせて頭をふり、足をバタバタさせた。

楽しかった。

次に「M」の溝に「し」をひっかけてみた。

「し」が「J」に見えた。

しかし待てよと思った。

これは元々「J」で「し」に見えていただけではないだろうか。

僕は何をしているのか、何を考えているのかよくわからなかった。

しかし僕にはそれくらいしかできること、考えられることがなかった。

しばらくすると疲れた心が僕に倦怠のかたまりを押し付けてきた。

僕が目を瞑っているとエアコンの音が聞こえてきた。

目を開けるとそこはもう僕の部屋だった。

僕は上体を起こしてベッドの上で体育座りをしてみた。

目を瞑り耳を澄ませるとエアコンが乾いた音を立てながら息をしていた。

僕も息をしていた。

気づかなかった。

僕は息をしている。

エアコンは息を吐き続けていたが、僕は息を吸ったり吐いたりしていた。

僕とエアコンにはそれぐらいの違いしかないのではないかと思った。

しばらくすると、ベッドの足元に言葉の波が打ちあがってきた。

ざあざあと音がする。

ベッドの周りは言葉の海になっていて、エアコンは宙にぶら下がっていた。

言葉の海は真っ白で、どこを見渡しても地平線が広がるばかりだった。

僕の口は微かにスース―と音を立てていた。

エアコンはゴオゴオと言っていた。

とりあえず僕はもう、言葉同士を打ちつけて音を出すことには飽きていたので、体を足元までかがめて、打ちあがった言葉を無造作に手に取った。

そしてそれを体の右側に積み上げていった。

言葉たちはなぜかすべて白色でゴシック体だった。

もっといろんな色や形があってもいいのに、と思った。

僕の考えが言葉になるのか、言葉が僕の考えになるのか、そういうとりとめのないことを考えている間、僕の上体は往復運動を繰り返し、右手は言葉のかたまりをこねくり回していた。

かたまりはだんだん人の形になっていき、やがて、「こ」は唇に、「ミ」は沢山集まってまゆげになっていった。

ミはとにかくすごかった。

ありとあらゆる人体の表現がミでなされていた。

僕はこれまでこんなにミを使ったことがあっただろうか。

ミの汎用性に感心していたが、それが漢字の「三」かもしれないことに気付き、がっかりした。

かたまりは、それがだんだん女であるということがわかった。

僕の手は無心に女を作っていた。

やがてその女はほぼ完全な人間の形になった。

僕はその女に見覚えが あった気もするし、無い気もした。

女は裸のまま、僕の目をじっと見つめていた。

僕はとりあえず、上着を脱いで女に それを着させた。

僕の心が紳士であることを僕はそのとき発見した。

上着にはよくわからない英語の文章が書かれていた。

僕は文字が文字を着た!と思った。

女にそれを伝えようとしたが、女はすでに女の形をしており、文字であった形跡がなかった。

僕は女に何か言おうと思った。

平坦な目でじっと見つめてくる彼女へ、

「ようこそ、僕の島へ!!」

と言った。

僕の口は意味のある言葉を発した。

エアコンはゴオゴオと息を吐き続けるだけだった。

僕は、なんだ、僕とエアコンは全然違うじゃないかと思った。

女は僕の言葉が理解できないのか、不思議そうな顔をしていた。

それがとても愛らしい表情だったので、僕はズボンを脱いだ。


彼女の顔はそれからも不思議そうな表情で固定されていたので、僕はとりあえず僕のことを話そうと思った。

名前。

僕には名前があるが、彼女は名前というものを理解できるだろうか。個体を識別するために名前があって、と説明すべきだろうか。

僕は僕を説明しようとすればするほど、額に汗をかき、それが顎を伝って膝の上に 落ちた。

膝に目をむけるとそこには白いゴシック体の「も」が落ちていた。

僕は自分の腕に目を向けた。

腕ははがれかけた鱗がびっしりとついたようにゴツゴツとし ていて、そこから文字が噴き出そうとしていた。

まずい、と思った。

体が文字になって、僕から意味が消えてしまう。

すると目の前 から、「あなたの島」と声が聞こえた。

僕が顔をあげると、女はなおも不思議そうな顔をしていたが、その言葉を聞いたおかげで、潮が引いていくように、ゴツゴツとした腕が滑らかになり、僕は僕の形に戻っていった。

僕は安心して、女にもう一度話しかけた。

「話すことができるの?」

女はまた黙り込んだが、やがて口をぽっかりと開いた。

僕はその口から声が発せられることを期待していたが、女の口から出てきたのは白いゴシック体のかたまり、

「か」

「わ」

「い」

「ら」

「な」

だった。

それらを手に取り僕は頭を ひねったが、それらを並び替えると「わからない」となった。

なんだ、アナグラム か、つまらないなと思った。


僕は女との性交を試みた。

女は英語の文字が書かれた服を着ていたので、それを脱がせた。

文字が文字を脱いだ!と思ったが、そういえば僕が着せた気がする。

女の顔をあらためて見ると、まつげは長く、鼻と耳が小さく、額は丸かった。

僕はそんな愛らしい造形を観察したのち、女の体をベッドの上に横たえさせた。

僕が女の中に身を沈めると、女はなおも不思議そうな顔をしていたが、おもむろに 口を開くと、口からゴシック体の「あ」と「ん」が出てきた。

僕は、ひらがなであ えいでいる!と思った。

女は大量の「あ」と「ん」を吐き出し続けて、ついに女の 顔を覆ってしまった。

僕は女の顔が見たくて「あ」と「ん」をかき分けたが、不思 議なことにいくらかき分けても女の顔に届かなかった。

僕は下腹部から大きな衝動が溢れ出そうとしているのを知覚したが、女の顔を見ないままそれを迎えてしまうのは嫌だった。

しかし、それは突然やってきた。

急にガラガラと音がなる。

女の顔の横でベッドに 立てていた僕の腕から、ゴシック体の鱗が噴き出てきた。

大きな恐怖が押し寄せて くる。

僕は右手で左腕の鱗を押さえたが、そうすると右腕がくずれて落ちた。

波打ち際で砂浜に海水が染み込んでいくように「あ」と「ん」が干上がって、彼女の顔が見える。

彼女は初めて笑顔を見せて、 「私の島」と言った。

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